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ゆうめいの上演あとがき
ハートピース-"演劇不毛の地"といわれた飛騨高山にて"演劇のお土産"を作ること
脚本家・演出家・造形作家 池田 亮

​アートディレクター・映像作家 りょこ

ゆうめい × ピースランド『ハートピース』2025年3月21日[金]〜23日[日]

岐阜県高山市 こどものほんや ピースランド

HP:https://www.yu-mei.com/heartpeace

※このあとがきは本編をご観劇された方もご観劇されていない方もお読みいただければ幸いです

※前作『養生』のゆうめいの上演あとがき「養生を、終えて」はコチラ

2025年3月21日[金]から23日[日]にかけて岐阜県高山市こどものほんやピースランドにて3日間実施した、ゆうめい『ハートピース』 。第68回岸田國士戯曲賞を受賞した『ハートランド』のモチーフとなった現地での続編&スピンオフの新作『ハートピース』回遊型上演や展示、『ハートランド』無料上映会を行った。

 

ブックカフェバーで繰り広げられる劇世界と現実が交わる回遊型上演は各回予約7名限定の全12回、上映会は各回12名の全6回と会場のスペースから少人数限定だったが、3日間で200人を超える人が訪れた。

 

この「ゆうめいの上演あとがき」では、作・演出・映像を担った池田 亮、企画・メインヴィジュアル・アートディレクションを担ったりょこが、一度も稽古場やスタジオを使わずに自宅と屋外でリハを行ったクリエイションや、企画意図を明かす。

"飛騨高山演劇土産”であるピースランド名物『ハートピース』の期間限定(4/12[土]18:00 〜 4/27[日]23:59)販売情報も掲載。

今後の新たな“観劇の楽しみ”を発見できるかもしれない。

『ハートピース』作・演出・映像 池田 亮

上演を終えて

こんにちは池田 亮と申します。この度『ハートピース』の作・演出・映像を担いました。この「あとがき」では、あとがきといいつつ、ご観劇された方だけではなく、ご観劇されていない方もお読みいただければ幸いです。

 

ゆうめいが今回どのようにクリエイションをしていったのかの企画意図と、題名にあります「"演劇不毛の地"といわれた飛騨高山にて"演劇のお土産"を作ること」についてを記述しています。

 

今回『ハートピース』を実施した岐阜県高山市こどものほんやピースランドは、2015年2月にゆうめいが初めて演劇公演を実施した、いわゆる"はじまりの地"です。

 

ですが、ゆうめいHP内の「WORKS」には記載がございません。今まで、第一回公演は『俺』という作品だと公表していました。主な理由としましては、丙次が加わったことによって東京で立ち上げたことを本結成としたため、そして、ピースランドで行った「本当の初公演」が正直恥ずかしかったためです。

本当の第一回公演『そうでもない鐘を鳴らすのはあんたら』

以下、当日パンフレットに自分が書いた文章の引用です。

「初めてピースランドに訪れたのは2013年でした。その後2015年に一夜限りのゆうめい結成&解散公演と称して、りょこと共に『そうでもない鐘を鳴らすのはあんたら』という作品を上演させていただきました。評判はどうだったのかといいますと、あまり観客の皆様の記憶に残らないような成果でした。どんな内容だったかを覚えてる人も少なく、自分さえもあやふやになっています。当時はぼんやりと「なにかをやらなければならないこと」が作品作りで最優先されていた気がします。」

 

画像がその2015年2月の公演『そうでもない鐘を鳴らすのはあんたら』です。当時の記録映像がPCに残っていたのですが、観てられなかったのですぐ再生を止めました。

驚いたことがあり、冒頭のシーンで二人組がお土産や重いものを持って登場してくるのですが、そのやりとりが昨年、岸田賞を受賞した『ハートランド』の序盤で書いたやりとりのシーンそっくりでした。それは意図的に書いたものではなく、『そうでもない〜』の内容を完全に忘れていたのに、自分が無意識で同じように書いていたことに気付かされて、あの時から全く変わってない手癖のように"そう書いてしまうこと"に勝手にショックを受けました。

しかし、なぜそのような無意識が働いたのか。「ピースランドという場所には、お土産を持って訪れることから始まるシーンを作ってしまう」と自分の潜在意識に染み付いた理由を探るためにいろいろ思い返してみました。

2013年の岐阜県高山市「こどものほんや ピースランド」との出会い

2013年、当時美大の演劇部だったりょこと部の先輩が学外で公演を行いたいということになり、二人芝居の本番に向けてエチュードばかりの稽古をしていたらしいのですが、作・演出・出演を担う先輩が1ページしか台本を書けていないらしく、更新されないまま本番5日前に失踪したとのことでした。

過去に自分はその先輩から急に誘われて富士山へ自転車で2人で行ったことがありました。「坂道きついから、良いチャリで来て」と言われ、自分は友達からクロスバイクを借り、先輩は普段使っているママチャリを綺麗に磨いただけで、なのに漕ぐのが速く、勾配がきつくなっていく道志みちを軽々登っていました。加えて「富士山に着くまで大喜利をしよう」と言い出し、呼吸が苦しくなって無言になる自分を気にせず何度も自分で出題と回答を山中湖まで本当に続けていました。

当時も面白く、絵も演技も話も上手いし今でも天才だと思っていますが、あの時は考えすぎたのと初めての学外ということがプレッシャーなのか書けなくなっていたそうでした。

出身地の岐阜であり思い出の地での公演中止はしたくないというりょこの要望もあり、その初ピースランド公演の運営お手伝い要員だった自分も収集され、これからあと5日でどうやって成立させるかを話し合う時間が設けられました。当時取材やルポの仕事をアルバイトでやっていたり匿名で小説を書いてネットに投稿していた自分は、案外できるかもと思って、作・演出・出演をしてみると名乗り出て、5日で頑張り、初めての学外公演をピースランドのギャラリーで行いました。

結果は本当に思い出したくないほど相当酷く、最初アットホームだった観客たちがどんどん離れていって、しっかりとため息が聞こえたり、親子連れの方々が「こういうのダメ」とはっきり声に出して退席したりでした。同席したお手伝いの同級生も観るのが辛すぎたのか俯いてしまい間接照明で暗転するタイミングを忘れ、ただただ明るいまま終わりたいのに舞台が終わらず晒された状態で佇んだ時の、やるべきじゃなかったという後悔しかない感覚が忘れられません。投げ銭形式だったのですが全く入れられず、お客さんがビールをプレゼントで注いでくれました。その際「残念!」と言われたのですが、本当に残念でした。

このことを現在のりょこに聞いたら、もう酷すぎて記憶から抹消していたとのことでした。

もう二度と演劇もしないしここにも来ないと決めて、この出来事を機に就活を始めました。

2014年、ピースランドに再訪問

それでも翌年、またピースランドに訪れました。博物館とかにある縄文人や土器といったものなどを模型で作る造形屋の仕事の内定をもらい、来年は美大の彫刻学科を卒業して会社員になるため、”作家のあきらめ方”みたいなのを模索していた1年でした。その時にふと、表現を諦めた経験があった場としてのピースランドを思い出して再訪しました。雪が積もっていた時期だったので雪かきをすることによって何日か泊めてもらいました。マスターの中神さんのご厚意です。『ハートランド』や『ハートピース』をご覧になった方はご存知かもしれませんが、作品のモチーフとなったピースランドも実際に駆け込み寺のような場所でして、宿泊中は様々な方々と会うことができました。

中神さんは自分のことを「演劇をやる人」と会う人達に紹介しました。"やった人"でなく"やる人”と聞いて「もうやらないけど」と思っていましたが、バーで話している時に「またなんかやってよ」と言われました。前回あんなに良くなかったのにどうしてそんなこと言うんだと思いましたが、ただあの時からしばらく経って「こうしていたらよかったかもしれない」と振り返ることが度々ありました。

それでなんとなく卒業前にもう一回やってみようと思うようになりました。次は5日ではなくしっかり日数を使ってやろうという気になり、リベンジな想いで2015年に再び公演を企画しました。中神さんの言葉はあまりお世辞を感じないというか、やわらかいけどストレートに届く感覚があり、本当にまたなんかやってもいいんだなと思えました。

そして驚くことにギャラリー代はタダで毎回貸してくれて、宿泊費も激安というかほぼお気持ち程度で、好きにやってくれなスタイルだったため、東京から来る時は必ず土産や、この地に住んでて得られない珍しいものや作品を持っていかねばならないと考えていました。

『そうでもない〜』の冒頭でお土産を持ってやってくるシーンを作ったのも、その考えがあって無意識に書き出してしまっていたのではないかと振り返ります。そして中神さんは東京ばな奈と崎陽軒のお土産にとても喜んでいたので、『ハートランド』でも崎陽軒を持ち込むシーンを思いつくきっかけになっていたと、後になって気がつきました。

『ハートランド』からの『ハートピース』

『そうでもない〜』も時間をかけた割に上手くいかず、それから8年経ってピースランドをモチーフにした『ハートランド』でも翌年岸田國士戯曲賞を受賞しましたが大きな赤字を出してしまい(ゆうめいの上演あとがき「養生を、終えて」を参照)、リベンジできたかというと、現地ではちゃんとできていなかったので、今なら「またなんかやれる」と思い立ちました。ハートランドとピースランドを融合させた『ハートピース』というタイトルが決まりました。

本家ピースランドのHPを真似て作ったハートピースHP

以下、当日パンフレットからの引用です。

「今は「この場所だからできること」と「記憶に残ること」を考えています。そして気がつけば、ゆうめいは解散せず今年で10周年を迎え、あれからずっと一夜が続いています。

ピースランドでのことは、初めて訪れた日から今日まで、書ききれないほどいろいろなことがありすぎました。ピースランドの場所をモチーフにし、岸田國士戯曲賞を受賞した『ハートランド』で描いた想像が、現実でも近しいことが最近起こったということをついさっき知りました。想像に現実が追いついてくるような体験を既に今もしていて、現実で偶然の数々が繋がった場所で、更に想像でも偶然の数々を描いていく内に溶け合っていきそうな怖さもあります。

本作『ハートピース』は、りょこから「地元という閉鎖された場所だからこそ描けるものと、明るい話にして欲しい」という願いを受けました。それから、現実のピースランドと想像のハートランドの日々が常に併走してこんがらがっていくような脳内にて執筆を進めました。戯曲を書き上げ、稽古を重ねて、俳優とゆうめいと関係者、そして何よりピースランドのみなさまによって目の前に、現実と想像の地元と生涯を背負った生命が繋がっていきました。」

今回の『ハートピース』は受賞記念公演ということだけではなく、ゆうめいが生まれるきっかけとなった場所で「またなんかやってよ」というマスターに突き動かされた公演でもありました。そして、これは次回作のあとがきにも書きたいことですが、昨年から今年にかけて起こった出来事(企画段階から子どもたちの育児を含めたクリエイションの方法を熟考するべきでしたが、その少しの時間さえなくなるような出来事でした。原因は離れ、今は時間を取り戻しつつあります)により、改めて自分たちが"またなんかをやる"ことについてを取り戻す機会にもなりました。

そして地元で長年演劇活動をされている方もおっしゃっていた「飛騨高山は演劇不毛の地」ということと「演劇をやっている人間の数と、興味を持って観に来られるお客さんの数が圧倒的に少ないという現実」に対して、「演劇のお土産を作り届けること」が今のゆうめいができることだと感じたためでもありました。

『ハートピース』のクリエイションについて

創作過程は"飛騨高山演劇土産”である「ピースランド名物『ハートピース』の特典、『ハートランド新聞』にいろいろ書く予定ですが、今回特に大きかったこととしては、回遊型上演ということもありスタジオや稽古場でのクリエイションをせずに、全て自宅や屋外で作り上げたことでした。これはもう何回も訪れているし『ハートランド』というフィクションの中でモチーフにし続けたピースランドだからこそ、空間が脳内に染み付いていたために現地の空間を想像することが非常にしやすく、むしろ脳内のピースランドと現実の自宅とを重ねた時に生まれてくる空間だけではない日常と劇世界が混ざって想像が奥行きがとめどなく溢れていた、普段の稽古場では全く感じえなかった新たな体験となりました。『養生』『球体の球体』の時と同様、「劇場に当て書き・当て場所・当て空間をする」という意識と近く、改めて公演を行う場所の下見やロケハンの重要さを強く感じていました。

そして何より、『ハートランド』から引き続き江原幸子を演じてくれた高野ゆらこさんと、『姿』での父を演じてくれた五島ケンノ介さんの想像の幅が非常に大きく作品に作用していました。自宅で稽古をしてくれた、させていただいたお二人には改めて感謝申し上げます。普段の自宅じゃないように見える瞬間の数々があったと全員が感じていました。これは後述にある、りょこの"家父長制が色濃く残る家風に住んでいたこと"や"地元"からの逃避に対しても、演劇によって可能となる普段の日常の捉え方に少しでも変化が生まれる作用だと感じて、作品内容とも直線的に繋がっていきました。劇場サイズは厳しいかもしれませんが、ギャラリーサイズでの公演を企画する際は「自宅稽古」という方法がより想像を発展し、俯瞰を経て現実からの離陸を促しやすい鍵ではないかと気づいた次第でした。ただ、自宅で稽古する以上互いのプライバシーには最大限に気を使い、関係性も含め事前に必要性をディスカッションしつづける必要があります。

ゆらこさんが「劇が終わっても役がまだ生きていた」とおっしゃっていたことが本作のとても大きな軸となる部分で、度重なるフィードバックの中で脚本家と演出家だけでは想像も理解もしきれない役人物の多面的な背景や動機や思考を何層も空間含め考案できたことが、有意義すぎる時間でした。

かといって、いざ本番になるとピースランドのマスターである中神さんもハートランドのマスターとして出演者になり、そこそこ台詞もあり、こちらが稽古で用意してきたものに対して、現地にて更に何層もの現実と想像が連なりカオスな状態になりました。

その場所のマスターは”マスター”なので、その圧倒的な存在と相対し続ける俳優の二人も凄まじく、特に一番台詞も多く感情の起伏も大きい江原役を演じているゆらこさんはこれを1日4ステージもこなせてしまっていることに、それは当然小平役のケンノ介さんもですが、ワンドリンク制で約7名分のドリンクを4ステージ分全部1人で作りながら台詞でやりとりをする74歳の中神さんも、相当な生命力が滾っている状態でした。ただそのハードさに申し訳なくもあり、公演スケジュールについてはりょこと共に改善していく所存です。

さらに反省としては、回遊型と空間によって1ステージのキャパ数が限られてしまうことについて、キャパ数を増やしたとしても劇空間を同じく体感できやすい演出をさらに模索していく必要がありました。ギャラリー公演の良さであると同時に、限られてしまうキャパ数をどう活かすかが次の課題となりました。

『ハートランド』無料歓談上映会や丙次小松大二郎による作品展示は、ギャラリーのギャラリーたる力を発揮しており、リラックスしたり集中したりを選びやすい空間となっていました。

今回、"小学生以下・障害者手帳をお持ちの方とその同伴者1名:無料"とし未就学児の入場も保護者同伴の上で実施いたしました。回遊型もあって、事前に観客も参加者として動きながら本編と関係ない話も声も沢山出してOKということ、途中ドリンクでの休憩タイムがあることを事前に説明しました。上演場所が「こどものほんや」であることの特性や、日頃の育児を通して回遊型上演についてを想像し検証すること、そして上演内容だけでなくこの場所に訪れたという空間体験を意識してでの空間演出を探っていきました。

上演台本の事前貸し出し、移動やじっとしていることが困難な場合での付き添いサポート、観劇中も小学生以下の方へのドリンクサービス等も実施しましたが、予算の関係もあり十分ではなく、まだまだ検証をして専門的な知識がある方や当事者からのフィードバックをいただきながら現実的な方法を実践していきたいです。

そして、ギャラリーや狭い空間で上演することについても、より模索していきたいです。もちろん劇場といった広い空間も模索していきますが、大きさを問わず様々な場所での上演の可能性を提示していくことこそが、たとえ芸術が不毛だといわれている場所だとしても新たな作り手と観客が現れていくきっかけだと考えています。

飛騨高山で舞台芸術をすること

飛騨高山には映画館がないそうで、車で2時間以上かけて別の市や他県に行って、ようやく観れます。駅近くにある高山市文化協会ではワンコインシネマというイベントを行なっており、定期的に過去作の上映を行なっているとのことでした。

本企画の発案者であり、アートディレクションを担ったりょこから「飛騨高山で、不毛といわれた芸術を用いて明るい話を作ってもらいたい」というオーダーを聞き、自分なりに明るく描いたのが本作と上映&展示企画でした。「明るいか?」と「すごく明るい!」が人によってバラバラな感想を様々いただきました。無料公開中の前作『ハートランド』を観ていなくてもよいし、観ていたらor後から観ても体感できる作品を目指しました。

昨年は岸田國士戯曲賞、今年は読売演劇大賞優秀演出家賞をいただき、賞というものに少し責任も感じつつ、それは良い作品を作り続けることだけでなく、それ以上に創造によって出会う人々との関係性も更に考える時間が増えました。そこで先ず取り掛かかりたいと感じたのが、創造のモチーフにした場所へ改めて赴いて創造の先を探ることと、ゆうめいや演劇を続けるきっかけとなった飛騨高山で、廃れてしまったとされている演劇をもう一度広げてみようとする試みでした。賞による効果含め、それがはじまりの地であるピースランドと飛騨高山へのアンサーだと考えたためでもありました。

結果はどうだったかというと、過去のピースランド公演と比べれば確実に良かったと感じるものの、話題性も含めて、まだまだ続けていかなければならないと感じました。毎回思うことですが、もっとなにかできたかもしれません。またなんかやります。
今回は岐阜新聞、中日新聞、高山市市民時報をはじめ、さまざまな媒体に取り上げていただいたことを改めて感謝すると同時に、これからもいろいろなことを考えて実践していきたいです。

演劇のお土産化

上演後は『ハートピース』の映像配信を考えておりましたが、"触れられるもの"と”残るもの”を目指し、実際にお土産として販売することを決めました。

飛騨高山演劇土産こどものほんやピースランド名物『ハートピース』です。
ゆうめいのはじまりの場所であり、"演劇不毛の地"といわれた飛騨高山にて”演劇を残すこと”を詰め込んだ「お土産化した演劇作品」を完全生産限定にて本日2025年4月12日(土)18:00 〜 4月27[月]23:59の期間で販売しています。
ぜひチェックしてください。

【セット内容】
◆回遊型上演『ハートピース』本編DVD(ハートランド続編)
◆『ハートピース』上演台本
◆『ハートランド新聞』創作秘話&岸田賞受賞記念特集
◆『ハートピース』ステッカー
◆『ハートランド/養生』書籍出版記念栞

ゆうめいSHOPにて期間限定で販売しております。
ピースランド店頭でも順次お土産として販売いたします。

さいごに

ピースランドに連れてきてくれて、企画を発案してくれたりょこ、出演していただけることになった完璧なマスターの中神隆夫さん、主演であり今までもこれからも主演をお願いしたい高野ゆらこさん、息子の無理難題を通してくれる実の父こと五島ケンノ介さん、協力でお呼びしたはずが急遽若い日のマスターも演じていただいた鈴木祥二郎さん、展示作品を送ってくれた丙次と小松大二郎、そして、『ハートピース』にお越しいただいた皆様と普段よりゆうめいを気にかけてくださっている方々に心より感謝申し上げます。

また本日4/12(土)より、東北大学学友会演劇部が2025年度新歓公演として『ハートランド』を上演いたします。

詳細はコチラ

 

白水社より出版『ハートランド/養生』を読んでいただけたそうで、早くも上演許可のご依頼をいただきました。
『ハートランド』を、しかも新歓で上演していただけるとは、喜びと同時に驚きました。
先程、初日の回を観劇しました。生身の延長線上にある空間演出も俳優もスタッフワークも素晴らしく良くて、「自分もこうしたら良かったかも」「自分が作ることはどういうことか」と内容だけでなく今までの創造を思ってしまうほど戯曲を書いた自身が気付くことがありすぎる上演でした。嫌な気分になりながら書いていた自分も思い出しました。本当に素晴らしかったです。

よろしければ、ご観劇にお越しください。

東北大演劇部の皆様に心より感謝申し上げます。

 

ゆうめいは今年で10周年を迎えます。その記念として11月〜12月に全国ツアーを予定しております。
今後の告知もチェックしていただけますと幸いです。

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

​企画者りょこによるあとがきも引き続きお読みください。

『​ハートピース』ダイジェスト映像​​​​

『ハートピース』企画・メインヴィジュアル・アートディレクター りょこ

ピースランドと『ハートピース』に寄せて

ピースランドで池田亮と大学の卒業公演を行ってから10年、

私がピースランドを初めて訪れてから16年が経った。

ピースランドには、時が過ぎたことを感じさせない不思議な魅力がある。

 

私は岐阜県の飛騨小坂という町で育った。飛騨小坂は高山と下呂のちょうど中間あたりに位置する、飛騨の中でも特に山間の辺鄙な集落のような小さな町だ。御嶽山があり、温泉があり、200本ほどの滝がある。つまり山と川だらけだった。

実家は家父長制が色濃く残る家風だった。特に「嫁を取ってやったのだから、なにをしてもいい」という考えで、母は祖母からひどい嫁いびりにあった。(そのあたりのことは、ゆうめい『娘』でもモチーフとなり描かれている。)

祖母は『世間』や『みっともなさ』が世界の全てだった。家はいつもひっそりと張りつめていて、雑談や軽口は聞こえないものと無視された。

四方を山と谷に囲まれた閉鎖的な地形も関係していたかもしれない。

別に私の実家だけでもなかったかもしれない。

クラスメイトの母親も凄まじい嫁いびりの末、風邪を引いても病院に行けず、中耳炎を拗らせて片耳の聴覚を失ったと聞いた。

母はひどい仕打ちの中、フルタイムの仕事と全ての家事育児をこなした。

大人になってから、家で祖母を中心に母に行われていたことには精神的DVという名がつくのではないかと思い、また私の暮らしもその上で成り立っていて、私も加害者なのではないかと考えるようになった。

母は私と兄が成人・就職してから、母の実家があったところに新しい家を建て飛騨を『脱出』した。

新しい家に住み始めてしばらく、飛騨小坂の祖父の体調が優れなくなった。新しい暮らしの中でも、飛騨での30年あまりの記憶を消すことはできず、母もまたフラッシュバックや一部の音域が聞こえなくなる時があった。

「涼子は小坂に帰らないのか」と母にも祖母にも何度も聞かれた。ふたりがそれぞれに聞く意図は全く違った。私は、私が飛騨小坂の家で朗らかに「よく育った子」として過ごすことそれ自体が、母への加害になると考え、もう二度と飛騨の家には帰らないと決めた。

「おじいちゃんの世話をしていないことが、小坂を出ても尚周りからどう見られているか考えると不安が止まらない」と母が言う。

地球にはこれまで悠久の時が流れていて、人間の感じる時間は長ーい目で見た時にはほんの誤差ほどだろう。飛騨小坂の家も、少し先にはみんななくなってしまうところ。離れて新しい家で暮らす今、脳内でだけ小坂の時間を少し進めて、小坂のことは「すでに全員がいなくなったところ」=「冥界」とし、もう現世と繋がらない場所と考えてはどうかと提案した。

母はびっくりしていたけど、それ以降私と母の中で小坂は「冥界」として存在している。

ピースランドは実家を冥界にした私にとって実存界の「故郷」であり、唯一帰ることのできる飛騨だ。

 

高校生で美大を志望した時、家族、特に母は大反対した。

「いくら学費がかかると思っているの」「就職が難しい」「将来の見通しが立たない」「本が好きなのだから図書館の司書にでもなればいい」

母は美術が好きだった。私も幼い頃から美術や映画や本にたくさん触れさせてもらった。母は美術の素晴らしさを説いていたのかと思ったけど、娘が美術の道に進むことをどうして反対するのか。ゴッホの価値を信じて、私の価値を信じないのはなぜなのか。

美術と生活、作りながら生きることについて教えてくれる人がいなかった。

「生活は耐えるもの」という無言の常識がいつも隣にあった。

高校生の時の自分が、今の私の生活、演劇やアニメや映像や美術や子育ての隙間でなんだかんだやっている生活を見たらびっくりすると思う。

家族の反対の中、芸術のことを考える時間はとてもつらかった。

自分には教育の価値のない穀潰しだと思っていた時期もあった。

未来について、世界線の想像ができる瞬間が、あの頃の自分や飛騨にもっとあったらよかったと思う。

そういう作品がここで作りたかった。

 

あとがきとして、今回の企画者として「どうしてピースランドで明るい話を演劇として作りたと思ったか」ということを詳細に書こうとやってみたみたものの、飛騨もピースランドも池田亮の作る演劇についても、大量の文字の中で出口を見失ってしまったため、全文の中から上記を抜粋した。

 

自分にとっての飛騨、ピースランド、演劇…

…超個人的なことばかりだけど、それら超個人的なことが普遍的な物語の一端になるのではないかと祈っている。

『ハートピース』における創作と生活

正直なところ、『ハートピース』は予算的にも時間的にもかなり制約された条件の創作だった。

今回、池田の脚本執筆中・稽古・仕込み・本番そのほとんどに、私は立ち会うことができなかった。

幼い子どもたちの生活があり、私たちは1ヶ月ほど母の世話になり母の家で暮らした。

ここ3年ほど、どうにか生活と創作を両立ができないか模索しているが、今回は昨年・今年にあった出来事の影響で作品に割ける時間が極端に削られてしまい、子どもたちと私は共に創作することは叶わなかった。

切望していたピースランドでの公演でそうなってしまったことは心底悔しく、また1日の中で上映会2回と4回公演という過密スケジュールを組んだ上で現場に丸投げする形になってしまったことも、座組の皆様にあまりに申し訳なく思っている。

ピースランドは「こどものほんやピースランド」であり、もし次回も機会を得ることができれば、子どもも大人も誰もが一緒に作れて楽しめる作品にしたい。

ピースランドで虚実入り混じった『ハートピース』

創作にあたって、それこそ生活と創作をごっちゃにしたようなお願いもたくさんあったかと思うのですが、ご参加くださった中神隆夫さん、高野ゆらこさん、五島ケンノ介さん、鈴木祥二郎さんには、それらを受け入れ尽力くださり、ありがとうございました。

私が現地で公演を観られたのは、映像収録時とゲネと初日1回のみでしたが、

実際の場所で立ち上がった力に圧倒されました。

ゆらこさん、中神さん、五島ケンノ介さん、それぞれがそれぞれの「本物」であり、これまでの時間や人たちの残した場所が「本物」であり、それらがバチバチとぶつかり物語が生まれ、その隙間の虚構の道を飄々と案内してくれる鈴木祥二郎さんに導かれて、ハートランド(ピースランド)の不思議な魅力をそのままに全身で浴びられる唯一無二の作品になったと思います。

またそれぞれの「本物」さと書きましたが、実の父親に「小平和治」という人物の本物さを見つけ俳優として求めるところも、池田亮の劇作家として創作のためならば全てを書き作る残酷さを改めて見せつけられた気がして、恐ろしい作品だなとも思いました。

また同時に無自覚な加害性に、自分も思い当たることばかりでギリギリと居心地が悪くもなりました。

主題歌の『種をまこう』(作詞・作曲:中神隆夫)は中神さんが以前に作られた楽曲ですが、作品に重ねられることで江原幸子の人生や、個人的に発案の原点だった母の人生も思い起こし、まさに時間を解き放つ素晴らしい歌だと思いました。

 

作中全編を通して「雑草」というモチーフが重要な役割を果たしますが、

高山線を走る車窓、特に飛騨小坂や渚駅のあたりは、もはや猛威とも言える凄まじい草たちを眺めることができます。

木ではないので「森」にも「山」にもならない猛々しい草たちを見ながら、「いつかこの町は草に覆われて何もなくなるのかな」と子どもの頃にぼんやり思っていたことを思い出しました。

そんな記憶も相まってか、作中ラストの『知らないもの』という詩は特に心を打ちました。

江原幸子が書いた『種をまこう』のアンサーソングのようにも感じます。

ぜひ戯曲でも多くの方々に読んでいただきたいです。

おわりに

この度は『ハートピース』を共に創作し尽力くださいました中神隆夫さん、高野ゆらこさん、五島ケンノ介さん、鈴木祥二郎さん、

ここまで難しい局面も数々のアイディアと体力で乗り切り一緒に制作してくれた池田亮、

展示作品を制作してくれた丙次、小松大二郎、また制作面で支えてくださった小魚堂さま、広報にて多大なるご協力を賜った中日新聞社さま、岐阜新聞社さま、高山市市民時報社さま、

そして現地でご観覧くださった方々、これから「お土産」にてご覧くださる方々、気にかけてくださった方々、

誠にありがとうございました。

 

ゆうめいをピースランドで旗揚げしてから10年が経ちました。

この先も、どうか創作を続けていけたらと思います。

もしご興味を持ってくださいましたら「お土産」をご購入いただけましたら幸いです。

この先の創作資金として、役立てさせていただきます。

⭐︎⭐︎⭐︎ ご購入はこちら ⭐︎⭐︎⭐︎

今年はゆうめい10周年として、この先もさまざまなものをお披露目できるかと思います。

どうか楽しんでいただけましたら幸いです。

ゆうめい × ピースランド『ハートピース』クレジット

出演

高野ゆらこ 五島ケンノ介 中神隆夫 鈴木祥二郎

『ハートピース』作品展示

丙次 小松大二郎

ビジュアルデザイン・WEBデザイン・編集

りょこ

広報協力

中日新聞社 岐阜新聞社 高山市民時報社

ステージナタリー ぴあ SPICE

協力

R7 TICKET SERVICE 小魚堂

ピースランドのみなさま

ゆうめい『ハートランド』のみなさま

梅田芸術劇場

主題歌

『種をまこう』作詞・作曲 中神隆夫

歌・演奏 FLYING ASYL(なかがみ&ユースケ&みの)

作・演出・監督・撮影・編集

池田 亮

 

企画・アートディレクター

りょこ

 

主催・制作

合同会社ゆうめい こどものほんや ピースランド

©2015 - 2025 Yu-mei llc. All Rights Reserved.

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