​  池田亮とゆうめい、

いままでとこれから

​取材・構成 小杉 厚

 20年の『ゆうめいの座標軸』に続き、

2021年5月より芸劇eyesで代表作『姿』を再演するにあたり、

ゆうめいで作・演出を担当する池田亮とゆうめいのこれまでを振り返り、

これからの展望を聞くインタビュー。

第1回は代表作『俺』や『弟兄』、『姿』でも描かれている池田の幼少期から中学時代を語る。

  第1回 

幼少期からのハード過ぎる日々

「それが普通というか、

   そういうものだと思ってました」

――ゆうめいの作品には、旗揚げ公演の『俺』(15年・17年・20年)を始め、代表作の『弟兄』(17年・20年)や今回芸劇eyesで再演する『姿』(19年)など、池田さんの幼少期のエピソードが反映されていることが多いですよね。実際に子供の頃はどんな感じでしたか。

 

 小学校のときから子分気質みたいなものはあったと思います。小学2年生の頃、クラスで席がちょっとイケてる人の後ろになって。相手がガンガン来るので空気を読んでついていく、みたいな姿勢になって。そこからだんだんパシリ気質みたいになって……。

 で、小学4年生くらいで眼鏡をかけるようになったんですが、クラスで眼鏡をかけているのが自分しかいなかったんです。それで『ドラえもん』でいうところの、眼鏡を取ると目が「3」になっている的なイジりをされるようになりましたね。

 

 

――今おっしゃったパシリ気質には『俺』で描かれているような、お兄さんとの間柄も関係していたんでしょうか。

 

 関係しているとは思います。やっぱり長男が常に一歩先みたいな感じだったし、兄のほうが運動神経がいいんですよ。というか、球技のセンスがあったんですね。自分は持久走とか耐える系の、球技じゃないスポーツに特化していった感じで。だから完全に抑圧される側でした(笑)。

 『俺』の中にある、両親のベッドをボクシング場みたいにして兄からボコボコにされていたエピソードもほぼ実話で。そのベッドで寝ていると、夜中に帰ってきた母がつねってくることも含め、逆らえない暴力みたいなものがベッドという場所にあった感じなんです。

 

――それは『弟兄』や『姿』にも反映されていますよね。

 

 ただ、嫌だけど逃げ出す選択肢はなかったです。それはもう逆らえないものというか、そういう人生なんだな、と。母に対しては本能的に母性を求めていたところはあると思います。けど、成長していくにつれて「やっぱりおかしいぞ。なんでこの人を好きでいなければいけないのか?」という疑問は生まれました。

 

――お父さんは助けてくれる感じではないというか……。

 

 父も裏でいろいろあったと思うし、実際あったんですけど、どちらかというと僕に対しては「戦って成長しろ」的な人であったなと。

 

――学校と家のどちらにも安心できる場所がないのは、つらかったのでは?

 

 でも、それが普通というか、そういうものだと思っていて。ただ、保育園や小学校に入ると、小さいなりにちょっとした恋愛とかもあるじゃないですか。そこでほかの人がモテていたりすると、自分とほかの人は違うのかと感じるようになったし、「みんなも家では大変なことが起きているんじゃないか」と思っていたのに、意外とみんな楽しそうにしていたりして。

 それで小学3、4年生になると、自分と周りのギャップを感じて気持ち的に落ちていくというか。内向的になっていく感じはありましたね。

 

――気持ちが落ちたことは、学校の先生にも相談しにくかったですか。

 

 小学3年生から6年生ぐらいの担任が「努力」という言葉が好きな先生だったんです。だから作文とかにも「努力」という言葉を多めに書いていたんですよ。「今はつらいけど、このつらさは努力していくための理由になる」みたいなことを書いたら、先生からほめられて。

 

――ほめるだけで、なにもしてくれないパターンですね……。

 

 だから「努力」という言葉でその先生と会話していたというか……、言葉本来の努力の意味は考えずに、「努力」という言葉を、誰かとつながれるツールみたいに考えていたと思います。

 

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―『弟兄』にも、いじめてくる「いいい」(※劇中のいじめっ子の役名)に対して、主人公が「友達でいたいだけなのに」と言うくだりもあります。上下関係から離れて、ほかの人とフラットにつながれないか、みたいな気持ちは当時ありましたか。

 

 ありましたね。それこそ「いいい」とは、小学校のときはすごく仲がよかったんです。なのに中学でそういう関係になるのが自分の中では本当に不思議で、でも変えられないなにかがあって。それは成長期にお互いの体格が変化したり、あと思春期特有の、女子の前での自分アピールに巻き込まれていたんだろうなと思います。男子だけでいるときはやらないのに、女子がいると1回そっちを向いてからこっちに(いじめが)来る、みたいな感じだったので。

 男子だけのときは、人の筆箱を奪って投げるときも動きがシンプルなんですけど、女子がいると急に野球的なフォームで投げ始めるみたいな感じで。そういう動作を今もすごく覚えているんですよ。ほかの人がいることによって、こんなに態度が変わるんだなって。

 結局、中学2年の後半ぐらいになると「あいつバカだから」というか「空気読めないやつ」みたいな感じで、女子は僕をいじめていた側の人たちから離れていったんです。それで注目されなくなったせいで「もっとやろう」といじめが悪化したり。分断がさらに悪化する感じがありました。

 

 

――でも、誰も助けてはくれなかった。

 

 助けるメリットがなかったんじゃないですか。いじめを受けると身体が動かなくなるというか、なにも考えられなくなるんです。思考力が低下して、とにかく現実から逃げようとなる。で、「自分がいじめられるのには、自分に理由がある」みたいに、自分に言い訳したりして。ただ「この経験が、後々いいことにつながるのかもしれない」とも思っていたので、根はポジティブだったんじゃないかとは思います。

 でも、やっぱりいじめられることに理由が見つからないから、休日とか、明日は学校に行かなくちゃいけないというときに、それが現実として襲いかかってくる。そうするとそこから逃げ出したくなるし、身体が動かなくなるような感じで。自分の感情にずっと嘘を吐き続けるみたいな状態ではありました。

 

――でも、池田さんは学校に行き続けたわけですよね。

 

 中学は皆勤賞だったんですよ。それこそ不登校になったりしたら母親に殺されるって思っていたので。保健室登校をしても、親にバレたら「どういうことだ!」と怒られるだろうし。

 でも、やる気は出ないから成績は下がっていくんです。それで68点のテストの点数を、88点に書き換えたんですけど、親に見せた瞬間にすぐバレて怒鳴られ叩かれて。だから「とにかく学校には行かなければ」みたいな感じでしたね。

 

――怒鳴ったり叩かれたりというのは……。

 

 基本的には母ですね。母は平日はほぼ働き詰めで、ようやく日曜日が休めるんですよ。ということは日曜に家にすごく怒る人がいるわけで(笑)。だから日曜が嫌いでした。

 土曜は部活があるけどたいてい午前中で終わるから、土曜の午後が一番好きでしたけど、日曜になると居場所がなくて散歩に出たりして。

 

――お母さんに甘えられる余地はなかった?

 

 そこは無な感じになっていましたね。だから変な話ですけど、母親が家にいないときに気持ちが軽くなっていたのは事実でした。でも、それを言ったらおばあちゃんだったりがすごく悲しむから、押し殺していましたけど。

 

――おばあさんはやさしかったですか。

 

 世話にはなっていたんですけど、そこまで相談ごとは言えないみたいな立ち位置の人でしたね。やはり母とつながっている向こうサイドの人だから、「学校に行きたくない」みたいなことを言ったら一発でバーンと伝わる。「この人に言ったら余計ダメだ」みたいな感じで、そこはめちゃくちゃ警戒していました。

 

――先ほどの話だと、お兄さんともそれほど仲がいい感じでもないし、安心して話ができる人はいない感じですが。

 

 中学では仲のいい友達もいたんですけど、自分が吊し上げの対象になった瞬間にみんな離れていくし、みんなも自分のことで精一杯みたいな感じがあったのかな。


 

「それが普通というか、そういうものだと思ってました」

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――『弟兄』の主人公は、いじめてくる相手を殺して自分も死のうとしますが、当時も報復したい感情は実際にあったんですか。

 

 ありました。「相手がこれだけのことやったんだから、同じだけのことで返したらわかるだろ」みたいな。そういう気持ちはすごくあったんですけど、やっぱり復讐はできなかったですね。復讐しようとした相手が花壇の花に水をやっているのを観た瞬間、「今日はやめとこう……」みたいな。

 

――『弟兄』の主人公も、いじめてくる相手を殺して自分も死のうとするけど、相手が飼っている老犬にやさしくするのを目撃すると、なにもできなくなりますよね。そういう場面に遭遇しても心を動かされない人もいると思うんですけど、池田さんはそうではなかった。

 

 そういうところを目撃すると「殺すほどでもないよな」と。相手のお母さんに小学生の頃、お菓子をもらったことを思い出したりもするし(笑)。それで一回引いたら、ずっと引きっぱなしになっちゃうんじゃないかと思うんですよ。そういう癖があるんだと思います。

 以前、雑誌の「黒歴史を笑おう」という企画で、お笑い芸人の河本準一さんや精神科医の鈴木俊さんとお話ししたとき、引きの視点が生まれるのは現実からの逃避行動だと言われて「なるほど」と思って。現実を自分のことじゃないように考えて自分を守ろうとする、みたいなことなんですよね。

 

――あくまでいじめる側に復讐するとか、糾弾して事態を変える、みたいな人もいると思いますが、そちらにはいかなかったんですね。

 

 「そういうことをすると、もうとんでもないことになるんじゃないか?」と思った部分があったというか。父や母が公務員的な仕事をしていたし、当時、祖母がよく観ていた『火曜サスペンス劇場』に、息子が問題を起こして両親が崖から飛び降り、息子は号泣しながら刑務所に入る、みたいな話があったんですよ。「自分が問題を起こすとこうなるんだ。それは嫌だなぁ」と。だから『火サス』の力で抑えられたところはあると思います(笑)。

 

――(笑)。『弟兄』の主人公が自殺しようとして思いとどまるときも、自分に向けられたものではないのに、他人にやさしさを感じた瞬間、死ねなくなるエピソードがありますけど。

 

 なぜそうなったのかは、わからないですけどね。ただ、小さい頃から映画の『E.T』を観たりすると「本当に宇宙人がいるんじゃないか」と思ったりはしていて。「悪いことがあっても、宇宙人が現れて人生が逆転したりするんじゃないか」みたいに信じていたんです。サンタクロースを信じるみたいな感じで。

 だから死のうとしたときも、それでも虚構にすがりつこうとした感覚はすごくあります。それも現実逃避の延長線上にある行為だと思うんですけど。そんな感じだったので、さっきの質問にあった、ちゃんと話ができる友達ができたのは、中学で陸上がちょっと速くなってからですね。それまではもう基本、1人でなにかをしていました。

 

――陸上で足が早くなる前、1人でやっていたことでなにか覚えていることはありますか。

 

 廃墟がすごく好きだったんですよ。実家の近くに病院の廃墟があって、1人で探検してましたね。それがなぜ怖くなかったのか、今でもわからないんですけど。

 でも、たまに廃墟の中に不良の高校生みたいな人がいるんですよ。で、向こうもこっちを見つけるとめちゃくちゃビビるんですね(笑)。それで「よくこんなとこ、1人で歩けるね!」みたいに言われて、うれしいような感情はあったと思います。

 

 

 

――相手が嫌がることを積極的にするわけですからね。

 

 そうなんですよ。それでディフェンスをほめられたのがきっかけで、シュート練習やパス練習には呼ばれず、ディフェンスの練習だけに駆り出されるようになったんです。それで「ディフェンスの人は外を走って体力つけろ」みたいなこと言われて走っていたら、「なんか楽しいぞ」となっていって。そこから校内のマラソン大会で1位になってしまったんです。

 

――そこで周囲の感じが変わった?

 

 バカみたいに変わりました。そしてあのときに一番怒りが芽生えたような気がします(笑)。あんなに馬鹿にしてきた人たちが「最後の1周、よかったね」とか、いきなりスポーツマンシップみたいなことを言ってくるのにイライラしたし、そこで「この人たちとは絶対に友達になれない」とわかったというか。「自分はこの人たちが嫌いだったんだ」と気づけた瞬間だったと思います。

 でも、陸上競技をしないとまたいじめられると思って。たぶん陸上は好きではなかったと思うんですが、「足が速い」というアイデンティティを持っておかないとまたひどい目に遭うから、「これだけは手放せないぞ」みたいな感覚でした。

 

――今のエピソードをうかがっていても、池田さんはあまり他人からの評価に、安心して乗っからない感じがします。

 

 今は評価を気にしたほうが視野が広がると思っていますけど、その頃はそういう感じでしたね。いじめをちらっと相談した先生も、それまでは「それはお前が頑張らなきゃ」みたいな感じだったのに、マラソン大会で1位になった瞬間、「これはお前が頑張ってきたからだ」みたいなことを言われて「あぁこいつも」みたいな……。本当になんて言えばいいんですかね(笑)。

 

――(笑)。そのあとはとにかく陸上を頑張る感じでしたか。

 

 そうですね、自分のアイデンティティを保つためと……、あとは中学の同級生にスポーツマン的な人がいたんですが、そのお兄さんがさらにスポーツマンみたいな感じの人で。その人に走り方とかを見てもらったことがありましたけど、その人とはスポーツでつながれたから、別段、日常とは違うところでコミュニケーションできるのがよかったし、しかもアドバイスが的確だったので尊敬していました。

 それで、陸上競技の強い高校に行ったんですが、そこで友達と仲よくなれたのも、陸上という共通ジャンルがあったからで。自分もアイデンティティを保つために走っているし、友達も同じように頑張っていることへの共感があったと思います。

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――廃墟のエピソードは『みんな』(16年)にも出てきますね。『俺』や『弟兄』に比べて群像劇の印象が強い作品ですが、そこにも私的な経験は反映されていたと。ちなみに足が早くなったことには、どうやって気づかれたんですか。

 

 僕、球技がめっちゃ下手なのにバスケ部に入っていて(笑)。だからバスケットボールをよく顔にぶつけられたりしました。明らかに取れない勢いでパスして、ミスさせるみたいな感じだったから、あまり技術的にも上手くならなくて。

 で、オフェンスができない人って、先輩が上手くなるための練習用としてディフェンス側に回されるんです。ちょっと話が逸れますけど、バスケのディフェンスって、ディフェンスといいながら、相手のやることをすごく邪魔するじゃないですか。それって不思議というか、超オフェンスな行為だと思うんですよね。